マイノリティとして生きていく。
マイノリティという言葉があります。多数派(マジョリティ)に対して少数派(マイノリティ)ということですね。
〈マイノリティにもいろいろある〉
少数派と言ってもいろいろありますね。LGBTと言われる方々を指す場合が多いですが、過半数以下の株に投資することをマイノリティ出資というなどビジネスの世界でも使われている言葉です。
私は既婚女性ですが、子供はいません。出生数は年々減少しているとは言っても大多数の女性が子供を産んでいるので、そういった意味では私は少数派と言えるでしょう。
高校生の頃から、将来結婚はしなかったとしても子供は欲しいとなんとなーく思い続けていました。
結婚=子供と当たり前のように思っていました。
というのも、自分が子供の時から周囲の大人たちはみんなそうしてきたし、そういうもんだと言った概念がいつの間にか脳内に染み付いていたのです。
〈私が子供が欲しいと思うのは誰かのため〉
・子供ができたら、親を喜ばせられる
・子供ができたら、日本のためになる。
・子供が生まれたら、その子に人生という時間を与えられる。
かつて子供が欲しいと思っていた理由を考えてみるも、自分の本能で欲しいと思ったことは露ほどもなく。自分のために子供が欲しいとは思っていないことに気がついたのです。
理由があるとしたら、子供がいないことを周囲にバカにされたくない、見下げられたくないとの名誉欲。名誉欲だとしても、子供は親のアクセサリーではない。
〈子供を作る行為そのものに抵抗がある〉
過去にトラウマがあり、行為が恐ろしくドン引きしてしまいます。
自分を女だと思うことに抵抗がある。女ではなく人として生きていきたい。
私自身は子供が欲しいと思っていないにも関わらず「子供がいない」ことを深刻に悩んでいました。
そんな私をみかねた夫が、子供が欲しいのかと何度か聞かれましたが、その都度私は黙ってしまうのです。
ああ、やはりこれが答えなんだ。欲しいと即答できないことが全てなんだ。
〈有る苦しみor無い苦しみ〉
子供が無ければ無いことで苦しみ
子供が有れば有ることで苦しむ。
苦しみの形が変わるだけで、苦しんだり悩むことには変わらない。
いたほうが偉いとかいない方が楽とかではなく、どちらの苦しみを選ぶか、というだけのことなんだ。
と最近は思っています。