先日京都に行った際、目的の行事開始時間まで2〜3時間ほど余裕があった。
一緒に行った人は、観光地などめずらしいモノや場所を見たい気持ちがあったが、私にまかせる、と言った。
たしかに、きっかけがないとめったに来られないので、普段行けない所を見学したり、買い物したい気持ちは私にもあった。
しかし、それらをするには下調べをしないといけない。下調べをするのが、めんどくさい。
時間にもっと余裕があったら「いきあったりばったり」「風まかせ」コースでブラブラするのもいいのだが。それだとすごく疲れる。交通費をいっぱい使うことになりそうで、なんとなく気が引ける。
友人たちなら、おいしいものを調べ、行動して満喫するのだろうけど。それも楽しそうだけど。
それよりも私は、目的時間に遅刻せずにすむような、目的地周辺を散歩したい。
そして、日頃住んでいる地元との違いを観察したい。
お、市バスの色は◯◯色。
お、走ってる二輪車結構多いなー。
あっ、ケーサツが速度違反チェックやってる。これは全国共通か、世知辛い世の中っすわぁ。
とか色々観察して味わうのが楽しい。
旅先での日常が、非日常なのだ。
無料で楽しみ、満足している。
そうこうしているうちにお昼近くになったので最寄りのお店に入って、ふつうの食事をする。
心のどこかで、心の根底に、どこへいこうと本質的なものは変わらない、との思いがあるのかもしれない。