子供時代はじゅうぶんに甘えること、認めてもらえることが大事だと思う。
甘やかす、と甘えさせるは違うため注意が必要だが。
できるのにさせない事を甘やかすという。
甘えさせる、はできないことを助けることだ。
両親はともに、養育はするが教育はからっきしできない人だ。
勉強を教えることは難しいにしても、3人の子供が将来自立して生きていくための術を、何も教えることができなかった。
だから、大人になってそれぞれが自分で1から身につけねばならなかったのだ。
なぜ、みんなは当たり前のようにできることを私はできないのか?
なぜ、対処方法や手段を知らないのか?
当時はインターネットがあまり普及しておらず。
今のように検索して調べることができなかった。
インターネットが当たり前のように使えるようになってからは、ちょっとした疑問点もすぐに答えが手に入る。
親よりも、ネットの方が多くのことを教えてくれた。
祖父母は毎日同じ時間にケンカしていた。
くだらない、些細なことだ。
大抵は、無神経な祖母が祖父のカンに触る事を悪気なく言うことでケンカになっている。祖母は全く悪びれる様子もなく、なぜ祖父が怒り出すのかわかっていないのだ。
祖父も祖父で、聞き流すとことができない。
それを、小さい子供の目の前で展開しても、微塵にも気にならない。
自分の言動が周囲にどのような影響与えるか、押し測る能は彼らには無いのである。
子供にまともな生育環境すら整えられない我が家族。
未だに、許すことはできない。
18年間、ひたすら耐えてきた。
家族がいいものだなんて、毛頭思うことができない。
それが、自分を許せない、好きになれない思考につながっているのではないか。
子供時代は精神情緒面が発達段階であり、自己を承認するのはまずは身近な大人である。
それが、じゅうぶんに与えられると、今度は自分で自分を認められるようになる。
大人になっても他者からしか承認を得られない訳にはゆかない。
最終的には、自分を承認するのは自分なのだ。
自分で自分を認めていく必要があるのである。